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(この日記は敬称略でお送りします。)
気まぐれを起こして、仕事の後に街へと出てみて。
とは行っても、行くところはいつもと変わらない。
街に来たときにいつも通う大きな本屋に、今日もまた足を運んでみた。
すると、この本が目についた。
宮沢和史。
THE BOOMを率いて、島唄を大ヒットさせたことでとてもとても有名な人。
バンドの活動歴が長いから、この人が作った曲の数というのはそれはもう膨大なものになっているだろう。その中のいくつかが、僕の心にすごく染みることがある。
今回語ろうとしている本のイメージと繋げようとするならば、「島唄」はもちろんのことだが、「帰ろうかな」「釣りに行こう」「故郷になってください」なんかを聴きながら読んでみると、深い味わいがあるかもしれない。
ちなみに個人的なことを言うと、この人は僕の中で、桜井和寿、上杉昇と並ぶ、神の如き三者のうちのひとりである。(僕が勝手にそう言っているだけで、彼ら自身は紛れもなくひとりの人間なのだが)
その宮沢氏が影響を受けたという、映画・旅先などで出てきた言葉の数々が、本人の語りとともにこの本に納められている。
歌とはまた違う、宮沢氏の生の声がこの中にあり、読んでいて染みこむものがある。
ただし具体的にどういう内容が書かれていて、どういう風に染みたかなどは、ここでは語らないことにする。それは結局、本の内容をなぞることにしかならないし、実はまだこの日記を書いている時点で、読了するに至っていないのだから(何せついさっきまで電車の中で読んでいて、それでようやく半分ほどまで来たところなのだ)。
少し、本そのものから話は逸れる。
僕がネットで公開している話は、ジャンルとしては現代日常物で。
登場人物も、性格や境遇こそ一風変わっているかもしれないが、生活様式は現実の僕らがかたどっているものと何ら変わらない、そんな人間ばかりである。(たぶん。)
そんな彼らが日常を過ごす中で。
やはり彼らも僕らと同じように、いろんなものに触れ、それらに影響されていろいろと考えたりすることがあるのだろう。
上記の「いろんなものに触れ」の中で。
ここで冒頭の本に話が戻ってくるが、もしかしたら登場人物の中に「言の葉摘み」という本を好き好んで読んでいる人間がいるかもしれない。
彼らの存在はフィクションということになっているが、その彼らがノンフィクション上のものに触れていることが、もしかしたらあるかもしれない。
(そういえば「池袋ウエストゲートパーク」の真島誠は、話の中でお遊びのようにモー娘や松浦亜弥を持ち出してきていたことがあったし、もっと言うと彼自身はフィクションでも彼がよく聴くクラシック音楽はノンフィクションなのだというのを思い出した)
長くなったが。
本当は何が言いたかったのかと言えば。
咲良漂が気まぐれで見知らぬ地をさすらう合間、ベンチに腰掛けて宮沢氏の本を読んでいる姿を想像してしまった、ということである。
そういうシーン自体を文章化する機会はまず巡らないだろうが、漂の人生の中の出来事としてはなんだか在りそうな気がしたのも確かである。
ちなみに漂が読むであろう本は、間違いなく僕が読んだ経験のある本の中からセレクトされるだろう。作者が内容を知らない本を奴が知っているというのはさすがに無理だから。
――キャラの教養を深めるために作者が本を読む、という方針で読書量を増やすのも、もしかしたらありかもしれない。
日記をタイピングしている最中で、そんなことを思ってみた。
本の内容には触れないことにすると言った手前、いつのまにか本そのものと日記の内容の関連性が薄まってきているが。
こういう日記を書くきっかけをくれたのは宮沢氏の本であるということだけは間違いないし、それだけでもこの本に触れられたことは有意義であったということにしておこう。
******
人は騙されるとき、その相手に欺かれるより先に、その人の言葉に先ず騙される。
人は愛されたいとき、愛されているということを確証させてくれる言葉を欲しがる。
言葉は人と人とを結びつけ、時には心と心を引き離す。
言葉はワインであり、刃物だ。
――「言の葉摘み」帯部分、および後書きよりの引用
THE BOOMを率いて、島唄を大ヒットさせたことでとてもとても有名な人。
バンドの活動歴が長いから、この人が作った曲の数というのはそれはもう膨大なものになっているだろう。その中のいくつかが、僕の心にすごく染みることがある。
今回語ろうとしている本のイメージと繋げようとするならば、「島唄」はもちろんのことだが、「帰ろうかな」「釣りに行こう」「故郷になってください」なんかを聴きながら読んでみると、深い味わいがあるかもしれない。
ちなみに個人的なことを言うと、この人は僕の中で、桜井和寿、上杉昇と並ぶ、神の如き三者のうちのひとりである。(僕が勝手にそう言っているだけで、彼ら自身は紛れもなくひとりの人間なのだが)
その宮沢氏が影響を受けたという、映画・旅先などで出てきた言葉の数々が、本人の語りとともにこの本に納められている。
歌とはまた違う、宮沢氏の生の声がこの中にあり、読んでいて染みこむものがある。
ただし具体的にどういう内容が書かれていて、どういう風に染みたかなどは、ここでは語らないことにする。それは結局、本の内容をなぞることにしかならないし、実はまだこの日記を書いている時点で、読了するに至っていないのだから(何せついさっきまで電車の中で読んでいて、それでようやく半分ほどまで来たところなのだ)。
少し、本そのものから話は逸れる。
僕がネットで公開している話は、ジャンルとしては現代日常物で。
登場人物も、性格や境遇こそ一風変わっているかもしれないが、生活様式は現実の僕らがかたどっているものと何ら変わらない、そんな人間ばかりである。(たぶん。)
そんな彼らが日常を過ごす中で。
やはり彼らも僕らと同じように、いろんなものに触れ、それらに影響されていろいろと考えたりすることがあるのだろう。
上記の「いろんなものに触れ」の中で。
ここで冒頭の本に話が戻ってくるが、もしかしたら登場人物の中に「言の葉摘み」という本を好き好んで読んでいる人間がいるかもしれない。
彼らの存在はフィクションということになっているが、その彼らがノンフィクション上のものに触れていることが、もしかしたらあるかもしれない。
(そういえば「池袋ウエストゲートパーク」の真島誠は、話の中でお遊びのようにモー娘や松浦亜弥を持ち出してきていたことがあったし、もっと言うと彼自身はフィクションでも彼がよく聴くクラシック音楽はノンフィクションなのだというのを思い出した)
長くなったが。
本当は何が言いたかったのかと言えば。
咲良漂が気まぐれで見知らぬ地をさすらう合間、ベンチに腰掛けて宮沢氏の本を読んでいる姿を想像してしまった、ということである。
そういうシーン自体を文章化する機会はまず巡らないだろうが、漂の人生の中の出来事としてはなんだか在りそうな気がしたのも確かである。
ちなみに漂が読むであろう本は、間違いなく僕が読んだ経験のある本の中からセレクトされるだろう。作者が内容を知らない本を奴が知っているというのはさすがに無理だから。
――キャラの教養を深めるために作者が本を読む、という方針で読書量を増やすのも、もしかしたらありかもしれない。
日記をタイピングしている最中で、そんなことを思ってみた。
本の内容には触れないことにすると言った手前、いつのまにか本そのものと日記の内容の関連性が薄まってきているが。
こういう日記を書くきっかけをくれたのは宮沢氏の本であるということだけは間違いないし、それだけでもこの本に触れられたことは有意義であったということにしておこう。
******
人は騙されるとき、その相手に欺かれるより先に、その人の言葉に先ず騙される。
人は愛されたいとき、愛されているということを確証させてくれる言葉を欲しがる。
言葉は人と人とを結びつけ、時には心と心を引き離す。
言葉はワインであり、刃物だ。
――「言の葉摘み」帯部分、および後書きよりの引用
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