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今日の内容は相当な下向きであります。
なので見てしまってから「こんなの書かないでください」という問い合わせは受け付けられませんので、あしからず。RSS登録をされていて見たくない場合は、そのままリンクをクリックしないようにしてください。
うん、でも形として残しておかないと、忘れ去ってしまって。
そしてまた繰り返してしまうと思うんだ。
かと言ってただテキストとして残しただけで、吐き出したことにはなるのかというと、そうでもない気がして。
そして結局、僕はこの日記に思いのままを書く。
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うん、でも形として残しておかないと、忘れ去ってしまって。
そしてまた繰り返してしまうと思うんだ。
かと言ってただテキストとして残しただけで、吐き出したことにはなるのかというと、そうでもない気がして。
そして結局、僕はこの日記に思いのままを書く。
時期的には、社会人になった頃から。
最近の自分は、昔と比べてどこかがおかしくなってしまった、ように思う。今に至るまで、本当にそう思っている。
今の自分はといえば。
異様なネガティブ思考に囚われていて、それが外側に滲み出しているのか、他の人からあまりいい印象を抱かれていないように感じる。感じると言っても確かめずにそう思っているだけで、それはとても不安定な状態で――それがまたネガティブ思考に拍車をかける。
僕は元からこんな人間だっただろうか――確かめようと、過去の記憶や記録をひっくり返すと、元からというわけではないはずだと強く思う。
だって昔は――大学生時代までの自分は、本当に楽しんで生きていたんだなあと、記録を見てると思い出すから。今の僕から見れば幸せ青天井という風に見えてしまうくらい。
それが今は。
不幸とまではいかないが、満たされない思いを引きずって日常を生きている、そんな印象を抱く。しかもそれは日ごとに少しずつ膨らんでいっているような気もする。
いろいろな意味で、このままではいけないと考える。
このままではやがてその「満たされない思い」に僕のすべてが飲み込まれてしまうかもしれない。それはもしかすると、生きる意味の喪失さえももたらすかもしれず。
――「生きる意味の喪失」は経験したことがある。前の仕事のときだ。
成果を出せず、上司に怒られ、一方で営業先からも「迷惑だ」と怒られ、夜中の10時を過ぎても外回り営業だと言って街中を這いずり回って、どうしようもないほど惨めな思いを味わった、あのときだ。
そこまで追い詰められて、「自分はこの世に必要とされていないんじゃないか」と思ってしまって。「首つって死のうか」なんて言葉も吐き出してしまうほどだった。
結局その気持ちとかも親に吐き出して、辞めても文句は言わないからと慰めてもらって、ようやく僕は逃げるようにして前の会社を辞めた。
しかし辞めれば全部元通りになると思っていたけれど、元通りにはなっていない。今になって思うのは、肝心なところが歪んだまま、治っていないのだ。ネガティブという部分を、そのまま引きずってしまっているのだ。今の仕事に就いて、何一つ不自由の無い環境を手に入れたにもかかわらず。
結局、歪んでしまったがゆえに。
少しずつ――やがては完全に誰かの心が離れていってしまうのを止められなくて、僕の心の奥は泣き叫んでいる。それをもたらしたのは他でもない、今の自分自身の心なのだと。行動を振り返ってみても、思い当たる部分がひどく多い。
気づくたびに反省をした、つもりでいる。
が、何回も「気づく」ということは、繰り返してしまっている。結局、反省が行動に表れていない――治って、いない。
もちろん、こんな状態を望んでるわけがない。
止めたい、全力で止めたい、この自己崩壊を。
だけどそのためにやるべきことは何だろうか、というのはずっと考えているけれど、明確な答えは出ない。ただし自分自身のこのネガティブ思考はどうにかして矯正をかけなきゃいけないことだけは確定している。
――ネガティブだから、人に与える印象も良くないものにしかならないんだと思う。自分が認められたい、そして人と仲良くしたいという願望とは裏腹に。
……と、ここまで自分がネガティブだということでああだこうだと書いてきたものの。途中で「人が離れていく」とも書いている。これはまたもうひとつ原因がある。
最近の発言を振り返って、自分自身が「空気を読めていない」と感じてしまう。この実感も日に日に酷くなってきている――言われだしたのは去年の末からで、それまでは気づいてすらいなかった。が、気づいて気をつけているつもりでいて、しかし治らないというのは重症じゃないかと思う。
空気を読んだ発言。
その時々の雰囲気においてのベスト、あるいはベターな発言。
考えられるときは考えるけれど、実際話している時に「考える」ことを忘れて発言してしまうことが多い。それは結局考えてもいなければ、言われたことに対する反省が行動に出ていないということなんだろう。そしてまた言われる、あるいは自分で思ってしまう。
「空気読め」と。
はっきりとその言葉を言われると、じゃあどういう発言が空気を読んでいることになるんだろう、と考え――しかし浮かばない僕は結局どんな発言をしても場をしらけさせてしまうような気がしてしまい、何も喋れなくなる。しらけさせるくらいなら口を閉じていよう、と。そういう方向に思考が流れてしまう。
それで傷つくのは僕自身なのに。場から取り残されて寂しい思いをするだけなのに。場に溶け込みたい、という思いと矛盾する行動に歯痒さを感じる。
――結局。
だから、今の環境においても精神状態がキツイんだと。
そういう結論にたどり着く。
何ひとつ不自由ないはずなのに、胃痛や動悸を抱え、時には眩暈すら覚えるという、不安定な状態を引きずっている。自分の不実さから来る人間関係のぎこちなさに苦しんでいる。
打破しなきゃ、いけないじゃないか。
このままでいて、昔に充実していたものを取り戻せるわけがないじゃないか。今から取り戻せるのかどうかは実際わからないけれど、少なくとも願望としてはものすごく強いものを抱えている。
幸せだった過去はもう幻影に過ぎないのか、それとも再び現実にできるのか。
少なくとも今は、諦めきれずに。
精神状態の不安定さは、今のこれをなんとかしたくてもがいてるところから来てるんだろうと思いつつ。「なんとか昔みたいな頃に戻れたら」と願う――そのまま過去に戻りたいと思っているわけではない、つもりだが。
――人に認められたい。
それが僕の欲求の根源かもしれない。
小説を書くのも、サイトをやっているのも。
チャットに入り浸るのも、直接誰かと遊びたいと思うのも。
仕事をしてお金を稼ぐのも。
そのお金の使い道の考え方も。
そして人間関係に鬱屈してしまうのも、こうしたことを書くのも。
ただ、その欲求と今の現実は、裏腹だから。
考えなければいけない時期が、来ている。
「ようやくかよ」と言われるほど遅いだろうか。それともまだ間に合うだろうか。どちらなのかはわからないけれど。
――自分を見つめて、考えることにしよう。
僕には、そういう時間が必要だ。
見つめなおして、それで少しでも変われるなら。
そういう努力をしよう。
――取り戻すために。
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